菓子本舗とまつ
株式会社 外松
長野県飯田市松尾上溝3014-12 飯田卸団地
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   目次外松の歩み>1962〜1970年

外松の歩み


1962 年 本町3丁目に土地建物を購入、倉庫を設置

1963 年 伊那営業所を開設、伊那・諏訪方面の商圏を拡大
1957年にアイスクリームを手がけてから、伊那地区はサブ問屋を起用していたが、1963年4月、伊那市八幡町に臨時拠点を構え、直売方式に切り替えた。
アイスクリームの拡売は、即一般菓子・食品の商圏拡大につながり、伊那地区を順次掌握する方向へ進んでいった。
1963 年 本町2丁目に鉄筋コンクリート3階建本社ビルを新築する
本社2丁目新社屋落成祝賀会 倉庫が狭隘になった為、増築の話をした処が、八十二銀行より資金を融資するから、立派なビルを建設したらと応援され、創業社長は鉄筋3階建、延べ220坪のビル建設に踏み切ることになった。設計は竹村設計に、工事は細沢工務店に発注した。そして、1963年11月10日、鉄筋コンクリート3階建ての本社ビルが完成した。
屋上の2本のポールには、毎日国旗と社旗が掲揚され、屋上では会の生ビール納涼大会や、花柳寿三師匠による民謡踊りの稽古が催され、夕刻には3階をダンス会場に開放するなど広く利用された。また、当時は市街地にも民間のビルが少なく、外松の存在の大きなPRとなり、求人面等でも効果が感じられた。
1963 年 社歌の制定
新社屋落成記念 社員一同 外松ビルの落成を記念して、ビルの披露と祝宴を行ったが、それに合わせて社歌を制定した。作詞を2代社長の妻の外松琱子が行い、作曲を3代社長外松秀康の小学校の担任小川清一先生にお願いした。そして、祝賀会の会場で、3代社長(当時小学校2年生)の指揮で、社員の合唱によって発表された。

1964 年 牛乳の販売を開始
1965 年 創業社長逝去、外松淳第2代社長に就任
第二代社長 外松 淳 1965年になり、創業社長の健康状態に異常が発生した。矢高先生により食道癌の宣告が内々に出され、急遽上京して、その道の権威である東京女子医大の中山先生により手術を受けた。9月に退院して帰宅し、帰ってからも、寝室で最後まで采配を揮っていたが、12月の寒い日に近くの理髪店へ行き、風邪を引き、肺炎を併発し、12月22日73歳の生涯を閉じるに至った。翌1966年1月20日、明治商事衫咯鑢骸萃役を葬儀委員長に、社葬により葬儀が行われた。
創業社長は、常に家憲として次の3つの事項を厳守するように言われた。1つには「お取引先を徹底的に大切にすること。」2つには「仕入先との商談は厳密にやるが、支払についてはたとえ1円の端数金額でも全額支払をすること。」3つには、「兄弟親戚でも印鑑による保証をしてはならない。どうしてもの場合は現金で貸してやること。そうすれば最悪の場合、その額の内で済むこと。」このことは将来に亘って、貴重な戒めとして守り続けなければならない。
創業社長の逝去により、外松淳が2代目社長に就任した。
1968 年 増資 新資本金400万円

1969 年 増資 新資本金800万円

1969 年 地場産業半生菓子の県外移出業務を開始
牧島相談役(現在)が、2月の日曜日に新宿経由で電車を使って新潟を訪れた時から、半生菓子の県外移出への取り組みが始まった。月曜日の朝一番に田代商店を訪問し、柏崎市の北日本食品(現ブルボン)に立ち寄って工場見学をした後、桑与商店を訪問。そして、郡山、福島経由で山形に行き、でん六の本社によって専務より東北の菓子卸情勢を教えていただき、山形の三沢商店、朝倉商店に寄って取引を開始し、上野経由で帰社したのが初出張だった。その後、四国屋、サンエスと取引を開始し、新潟、宮城、山形、福島と新規取引を拡大していった。
1969 年 伊那市西春近沢渡に土地購入、伊那営業所を新築・移転
1969年 伊那営業所開設 伊那市沢渡に300坪の土地を入手し、1969年9月に伊那営業所を新築し、八幡町より移転し、現金卸部門C&C(キャッシュ&キャリー)を併設した。

創業〜1951年1952〜1961年1962〜1970年1971〜1984年1985〜1992年1993〜1999年
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